みなさま、こんばんわw
明日は雪模様らしいので、今日は私たち夫婦の22回めの結婚記念日で、ほんとは家内と美味しいものでも食べたいなと思ってたけど、東京に戻ってきましたw
今日は結婚記念日ということで、あるBLOGの記事をシェアします!
日本人として、嫁ぐ女性の決意が昔はいかなるものかを悟ったと同時に、実家が呉服屋であるがゆえになんとなく知ってたことが書かれてました。
良記事です、ぜひご一読を!
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「白無垢と赤い打ち掛けの本当の意味」
今回は諸説あるうち、私が一番腑に落ちた説を紹介します。
昔の花嫁は、
白無垢で結婚し、その袖を切って白喪服にし、最後はそれを白装束にしていました。
ということは、結婚式とお葬式で「白」を着ることになるのですが、
この2つの儀式、民俗学的に実は同じ意味があります。
それが、擬死再生。
擬死再生とは、儀礼的,象徴的な死とそれに続く誕生 (再生) を意味します。
まずは結婚式を例に説明しましょう。
花嫁はまず白無垢を着ます。
これは死装束です。→擬死
「元の家の人間としては死にました」という意味があります。
死装束が白いのは、穢れを落とすためです。
この時の花嫁は、文金高島田の上に角隠しを被り、綿帽子で顔を隠します。なぜならこの時、花嫁はこの世の者ではない存在=鬼(角がある)だからです。
鬼はあの世のものなのです。
その後、花嫁は赤い打掛にお色直しします。
赤は血を表し、新たに嫁いだ先の家の血が流れた事を意味します。→再生
色打ち掛けの赤色は生まれ変わった赤ちゃんであり、血液の象徴。
その赤い色を身体に取り入れて甦るわけです。
色直しで赤い色打ち掛けを着る意味がここにありました。
赤色はエネルギーが強く、隙のない麻の葉やカゴメの模様も魔を退散させると信じられ、厄除けにも使われていました。
また、この世の者となって生まれ変わったので、角隠しも取れてお顔を出せるようにもなるんです。
鬼というのは、元々は「姿形の無い」「この世のものでは無い」という意味を持つ『隠(おぬ)』が変化したものだとされています。
ですから白い衣装を着たら、その後必ず赤い衣装を着なくてはいけません。
でないと、生まれた家の子として死んで、嫁いだ先でも死んだまま鬼でいることになるので、嫁ぎ先でうまくいかなかったり、かかぁ天下になるといわれていたようです。
自分が生まれた家の娘としてはいったん死に、そして新たに血を入れて甦り、嫁ぐ家で生きるという考えです。
元来、日本の法事の際、参列者の喪服は白でした。
日本の伝統的な白喪服には、2つの意味があります。
1、忌がかかる(穢れを被る)範囲を近縁者に限定し、一般社会と隔絶させるため。
2、死者と同じ服装をする事で、荒れ荒びがちな死者の魂を慰め、鎮める。
更に、夫を見送った夫人(未亡人という表現はあまり好みませんが。)に限っては、もう1つの意味があります。
3、貞女二夫に見えず。の意思表示。
「貞女二夫に見えず」とは、
『貴方が亡くなっても、私は貴方だけの妻です。
再婚しません』という意味です。
白無垢と、白喪服と、白装束。
ここまでの記事でなんとなく勘付かれた方もいらっしゃるかもしれませんね。
全て、同じ着物を仕立て直して着回すんです。
女性は白無垢で家を変える事を決め、
白無垢の袖を詰めた白喪服で貞女を決め、
そして最後は自らの白装束として、黄泉の国への旅支度としたのです。
人の一生と共にある白い1着の着物。
家(血)の繋がりと、夫婦の繋がりの強さを感じます。
嫁ぐということは、このように一度死んで生まれ変わって新しい家で生きていくという覚悟が必要ということでしょうね。
昔の人はその時その時を真剣に生きていますね。
覚悟が違う。
今のように流されないですね。
そう、自分できっちりと覚悟を決めて行っているのですね。
日本人の心なんです。
これを知ったら、そう何度も白無垢を着るわけにはいかないですね。
白無垢を着るということは、その一着で嫁ぎ、亭主を見送り、自分の死装束とする。
大和撫子の一生を決意する意思表示なのですから。
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そして、男も同じです。
覚悟を決めた女を“必ず幸せにする”という覚悟を持ちます。
どんなことがあっても、命を賭してでも守る決意をします。
長渕剛 “CLOSE YOUR EYES”